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どこまで行っても逃げてやる

今となっては伝説になりましたね。

サイレンススズカ。


クラシック時点では、ぱっとしなかったのですが、
その後の活躍はご存知の通りです。


そのサイレンススズカの全盛期かつベストレースと
私が考えるのはこれです。


1998年 毎日王冠








どこまで行っても逃げてくれそうです。


あの逃げ足で最後直線でさらに伸びてますからね。。


離された2着は、エルコンドルパサーです。


そう。


あの凱旋門賞2着馬のエルコンドルパサーです。


で、3着はグラスワンダー。


あのグラスワンダーも出てるんですよ。


スペシャルウィークとともに最強世代とよばれた彼らに
影もふませていません。


彼らが活躍することで、


サイレンススズカは本当に強かったんだ


と皆が認識するようになりました。


このときのスズカは、この距離での世界最強だったと思います。



ですが、最後のレースは・・・・。


そう。あの悲劇の天皇賞(秋)です。






1000mを57秒の超ハイペース。


私はアルタ前で見ていたのですが、悲鳴があがりました。。


今見ても胸が苦しくなります。


その雄姿は競馬ファンの心で生き続けます。。。







サイレンススズカ(Silence Suzuka、香港表記:無聲鈴鹿)
は日本の競走馬。主な勝ち鞍は宝塚記念。

1998年JRA賞特別賞受賞。

同年6連勝で臨んだ天皇賞(秋)にて故障を発生し、
予後不良と診断、安楽死処分された。

大逃げというレーススタイルで勝ち続けた異例の一流馬である。


粉砕骨折の詳しい原因はわかっておらず、
武は「原因は分からないのではなく、ない」
とレース後マスコミに対してコメントした。

よく言われた意見は、皮肉にもサイレンススズカの
あまりのスピードに骨が金属疲労のような症状を引き起こし
レース中に爆発したというものである。

ただし、短距離競走ではサイレンススズカと同様のスピードで
レースが展開するものの、引退まで無事に走りきる馬
(彼の母ワキアもそうであった)がほとんどであり、
スピードそのものというよりは、
むしろこのスピードで中距離を走り続けた結果とも取れる。

レース後の武の落胆ぶりは相当なもので、
同じレースに出ていた福永祐一も


「あんな落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」


と証言している。


また、この日の晩、ワインをあおり泥酔した武の姿が目撃されている。

サイレンススズカの死後、
エルコンドルパサーやグラスワンダーの活躍により
サイレンススズカのの評価はさらに上がることになった。

中でもエルコンドルパサーは、
この年のジャパンカップで勝利し、
翌年はフランスのG1、G2で1勝ずつをあげ、
なおかつ凱旋門賞ではモンジューの半馬身差2着と
勝ちに等しい内容であった。

このエルコンドルパサーに日本国内で土をつけたのは


サイレンススズカだけ


である。

サイレンススズカの墓は生まれ故郷である
北海道・平取町の稲原牧場に建てられている。

追悼歌「天馬のように(星野豊:作詞/作曲 因幡晃:歌)」
も作られた。


(出展:ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典)



・・・最強馬よ永遠に。。

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